DMC世界大会が日本で初開催! DJ FummyがバトルDJ界最高の栄誉・クラシック部門の世界王者に
LOUNGE / MUSIC
2025年11月10日

DMC世界大会が日本で初開催! DJ FummyがバトルDJ界最高の栄誉・クラシック部門の世界王者に

 

DMC World DJ Championships|DMC世界大会 

 
2025年10月11日、12日の二日間にわたり東京・渋谷にて開催された「DMC World DJ Championships」(以下、DMC)。今年で40周年を迎えた世界最高峰のDJバトルとしても知られるDMCだが、2年前から本国イギリス・ロンドンを離れて2023年はサンフランシスコ、昨年はパリにて世界大会が行われ、そして今年はこの日本にて初めて開催されることとなった。「DMC40 Tokyo」とのタイトルも付けられた記念すべき今回の大会の模様をレポートしてきたい。
 

Text by OMAE Kiwamu Photo by Rob FARELL , Jeff STRAW

日本で初開催! 40周年を迎えた世界最高峰のDJバトル「DMC World DJ Championships」レポート

 
 
大会レポートの前にまずはDMCの歴史をおさらいしておきたい。
DJとして活躍していたTony Prince(トニー・プリンス)が、80年代半ばにDJ専門のレコードレーベル「DMC」(=Disco Mix Club)として立ち上げ、その延長としてDJの大会「DMC(=DJ Mixing Championship)」を初めて開催したのが1985年のこと。
 
ヒップホップカルチャーを基盤にした世界的なDJブームの波にも乗って80年代後半の時点ですでにDMCは世界中から注目を浴びる大会となり、80年代から90年代にかけてDJ Cash Money、Q-Bert、Mix Master Mike、Roc Raida、A-Trak、DJ Crazeといった、数々のスーパースターを生み出していく。
 
 
日本での大会は1990年からスタートし、初年度に優勝したDJ Yoshiが翌年の世界大会で見事3位に入賞。以降、数々の日本人DJが世界大会の上位に食い込み、大きな爪痕を残してきた。そして、2002年にはDJ Kentaroがアジア人として初となるDMCの世界チャンピオンの称号を手にし、その後もDJ Izoh、DJ Yuto、チャンピオン最年少記録を塗り替えたDJ Rena(当時12歳)といった世界チャンピオンが日本から誕生している。
 
以上は全てDMCのメインのバトルであり、現在はクラシック(The Classic)と呼ばれている部門の話であるが、Creepy Nutsとしてワールドワイドに活躍をしているDJ松永も2019年の世界大会にてバトル部門(Battle for Supremacy)に出場し優勝。
 
現在は開催されていないが、チーム部門(World Team Champions)ではKireek(DJ Yasa + DJ Hi-C)が2007年から5年連続優勝という前人未到の偉業を果たしている。
 
世界大会における2002年のDJ Kentaroの優勝は今まで欧米が中心だったDMCの勢力図を大きく変え、日本はもちろんのことアジア各国のDJたちにも大きな刺激を与えながら、現在、日本はDJバトルの世界において最強国の一つに名を連ねる存在となっている。
 
そして、単に数多くのチャンピオンを輩出してきた国というだけでなく、DJバトルの際に使用されるDJ機材のほとんどが日本のメーカー(Technics、Pioneer DJ等)のものであったりと、舞台裏からも日本という国がDMCに貢献している部分は大きく、それがこの40周年という区切りの年に世界大会が日本で開催された大きな理由の一つとなったのは間違いない。
 
会場ではTechnicsの名機「SL-1200」の歴代モデルが展示された
 

トップDJがぶつかり合う対マン勝負

 
渋谷O-Eastが会場となったDMC世界大会初日。
まず最初に行われたのがトーナメント形式で行われるバトル部門(Battle for Supremacy)だ。90秒という時間の中でDJが一対一で戦うこのバトル部門は単にテクニックやプレイの構成力を競うだけでなく、相手に対する攻撃性も大きなポイントとなっており、例えるならばラッパーによるMCバトルとも共通する部分が多い。
 
予選を通過した4名による2セット制の準決勝と決勝が行われ、2年連続で日本代表となったDJ Nolliは惜しくも準決勝で敗退。
 
そして、ブラジル代表のDJ Raylanと、昨年の同部門の優勝者でもあり、クラシック部門にて過去に二度世界チャンピオンにも輝いているニュージーランド代表のDJ K-Swizzによって行われた決勝は、スクラッチ、ジャグリング(2台のターンテーブルで同じ曲を使いながら新しいリズムやビートを作り出す技)、ボディトリック(体全体を使って表現する技)を駆使しながら、ともに闘志剥き出しなプレイを披露した。
 
バトル部門を制したブラジル代表のDJ Raylan
 
オーディエンスはよりエンターテイメント性の高いプレイを見せたDJ K-Swizzを支持する声が多かったが、ジャッジ(審査員)の判定はテクニカルな部分でまさったDJ Raylanに軍配が上がり、今回のDMC世界大会の最初のタイトルを手にした。
 

スクラッチ職人による激しい戦い

 
続いて行われたスクラッチ部門(Scratch)はその名の通り、DJを象徴する技である“スクラッチ”に特化した部門だ。最初に各国代表が2グループに分かれて予選を実施し、ジャッジによって選ばれた昨年の同部門の優勝者でもあるフランス代表のAocizと日本代表のDJ Keitaの二人が決勝へ進出。決勝は交互に一人16小節ずつを2回繰り返し、さらにビートを変えて合計2セットで戦われた。
 
決勝にてDJ Keitaを接戦の末に破ったフランス代表のAociz
 
ある意味、DMC各部門の中で最もマニアックかつ職人気質の高いスクラッチ部門であるが、審査基準としてはフレアやクラブなど無数に種類のあるスクラッチパターンそれぞれの技術力の高さはもちろんのこと、リズム感やタイミング、ビートに合わせてスクラッチの技を選ぶセンスなどもポイントとなり、さらに音楽的な完成度も求められるという、一見シンプルに見える競技でありながら非常に奥が深い。
 
結果的には2種類のビートに対してよりタイトにスクラッチをはめ込んできたAocizの勝利となり、見事に2年連続チャンピオンに輝いた。
 

史上5人目となる日本人チャンプが誕生!

 
初日のハイライトとなったのがDMCの設立初期から行われているクラシック部門で、世界各国の代表者の中からさらに予選を勝ち抜いた8名、さらに今回バトル部門にも出場した前年の準優勝者でもあるニュージーランドのDJ K-Swizz、同じく前年3位となった日本のDJ Fummyを加えた10名がこの日の決勝に進出した。
 
クラシック部門の特色は6分間という持ち時間の中でルーティンを作り、スクラッチやジャグリングといった技を盛り込みながらその技術力の高さだけでなく、ルーティン自体の構成力や音楽的な表現力、オーディエンスに向けたパフォーマンス力など、バトルDJとしての総合力を競うというもの。
 
そして、それぞれのDJが作り上げた6分間の作品を過去の歴代優勝者を含む名だたるDJたちがジャッジしチャンピオンを決めていく。このクラシック部門のチャンピオンこそDMCの頂点であり、それはバトルDJ界最高の栄誉を得ることを意味する。
 
途中ブレイクを挟みながら、約2時間に亘って行われたクラシック部門の決勝だが、最高の盛り上がりとなったのがラストを飾った二人、DJ FummyとDJ K-Swizzで、まさに二人の一騎打ちとも言えるバトルが繰り広げられた。
 
9番手に登場したDJ Fummyはジャグリングからスクラッチへとスムーズに構成し、さらにKanye West「Stronger」使いのルーティンで前半から強烈なインパクトを与え、後半もテクニカルなスクラッチ、ジャグリング、さらにボディトリックでニヤリとさせたりと隙のないプレイを披露。
 
気迫伝わるDJ Fummyのルーティンで会場も最高潮の盛り上がりに
 
続いて、ラストに登場したDJ K-Swizzは声ネタを使ってDJ Fummyをディスるなどバトルモード全開のプレイでスタートし、中盤はテクニカルなスクラッチとジャグリングを組み合わせたルーティンを展開しながら、ラストは「必勝」と書かれた鉢巻きで目隠しをしながら高速のジャグリングをするという驚きのパフォーマンスでオーディエンスを大いに沸かせた。
 
DJ Fummyと激しいバトルを繰り広げたDJ K-Swizz
 
スタイルは異なりながらも共にハイレベルな二人のプレイであったが、ジャッジがチャンピンとして選んだのがDJ Fummy。日本初開催という記念すべき今回の大会で日本人DJがクラシック部門のチャンピオンになるというのは非常に印象的な瞬間でもあり、何よりも2013年に日本代表となって以来、長年にわたってDMCの頂点に挑戦し続けてきたDJ Fummyが史上5人目となるクラシック部門の日本人チャンピオンに輝くということ自体が大きな感動を呼ぶ出来事でもあった。
 
8年ぶり史上5人目の日本人のチャンピオンが誕生!
 

The Open = DMCの新たな挑戦

 
翌日、2日目は渋谷Harlemに会場を移してオープン部門(The Open)の決勝が開催された。
 
このオープン部門は昨年より正式にスタートしたばかりの新しいバトルであるが、クラシック部門よりもさらに長い12分間という枠の中、さらにターンテーブルとミキサーのみという従来の機材の制約を取っ払い、CDJやDJコントローラー、MIDIパッド、エフェクターなども自由に使用することが出来る。
 
選曲に関してはさまざまなジャンルを横断することがルールとして設けられているが、同時にそれはより自由度の高いプレイが行えるということでもあり、コロナ前まで開催されていたDMCと並ぶDJの世界大会「Red Bull 3Style」とも共通する部分が多い。DJバトルでありながらもクラブでDJがプレイしている感覚に最も近いのがこのオープン部門と言える。
 
決勝には9人が参加したが、出場国もアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、アジア、さらにアフリカと前日に行われた3部門と比べても実にバラエティに富んでいたのも興味深い。さらに日本のオーディエンスを意識して、日本の曲やオリジナルと思われる日本語ラップの曲を使っているDJまでいたのは嬉しい驚きでもあった。
 
優勝したのは「Red Bull 3Style」世界大会で入賞実績もあるオーストラリア代表のDJ Beastmode。新旧のヒップホップ、R&Bからダブステップまでいろいろなジャンルを盛り込みながら、スクラッチやジャグリングなどテクニカルな部分もしっかりとアピールし、実力の高さを見せつけた。
 
オーストラリアに初めてDMCのタイトルをもたらしたDJ Beastmode
 
一方で2位となったタイ代表のDJ Peggはアジア人としてのアイデンティティを表現しながら、ラストにプレイした星野源「SUN」で日本人オーディエンスの心をがっつり掴み、3位のコートジボワール代表のSilver DJは唯一のアフリカ大陸代表として自らのカルチャーを強くアピールするプレイが実に印象深かった。
 

トップDJが魅せた最高のショウケース

 
ここまで二日間にわたる「DMC World DJ Championships」の中で行われた4部門のバトルを中心にレポートしてきたが、今回の大会のもう一つの目玉となったのがバトルの合間にステージで披露された数々のトップDJによるショウケースだ。
 
歴代のDMCチャンピオンを中心に二日間で実に合計10組のパフォーマンスが行われ、初日は日本からはDJ Rena、さらにDJ Kentaroは中村卓也とのコラボレーションによる音楽性溢れるショウケースを披露し、チーム部門で5年連続優勝を果たしたKireekによるこの日限りの復活ライヴも大盛り上がりとなった。
 
オーディエンスを魅了したDJ Kentaro + 中村卓也のショウケース
 
Kireekの奇跡の復活パフォーマンスにオーディエンスも大興奮
 
海外勢では前年のクラシック部門の覇者、DJ Flyのショウケースも見事であったし、ターンテーブリスト界では伝説的とも言える存在のクルー、Invisibl Skratch Piklzも圧巻のパフォーマンスを披露し、2日目に行われたDJ Crazeのプレイも実に素晴らしかった。
 
Invisibl Skratch Piklz(D-Styles, DJ Shortkut, Q-Bert)による圧巻のプレイ
 
DMCでの戦歴はないものの世界的に人気の高いカナダのSkratch Bastard、そして今や日本が世界に誇るDJ Kocoのプレイも、世界中から東京に集結したオーディエンスから大きな喝采を浴びた。
 
7インチレコードによるプレイで世界中から注目を浴びるDJ Koco aka Shimokita
 
 
これだけの数の世界トップクラスのDJが一堂に会して出演したというだけでも奇跡的なことであるし、それはつまり今回のDMCが歴史的にも非常に重要な大会だったことの証でもある。
 

裏方にもスポットを当てた「Hall of Fame」

 
最後にもう一つ取り上げおきたいのが初日に行われた「Hall of Fame」(殿堂入り)の授賞式だ。
 
この「Hall of Fame」はDMCだけでなく、これまでDJシーンに大きく貢献してきた人たちを讃えるためのもので、事前にdj hondaの受賞が発表されていたが、他にもアジア人として初めてDMC世界チャンピオンとなったDJ Kentaroや、同じく元チャンピオンのDJ IzohといったDJはもちろんのこと、スポンサーおよび機材提供で大会を支えてきたTechnicsのエンジニアやスタッフ、さらに長年、DMCの日本大会で司会を務めてきたラッパーのダースレイダー(DARTHREIDER)も受賞するなど、裏方を含めた人たちにもスポットが当たったのは実に意義深いことであったように思う。
 
Hall of Fameを受賞した日本が世界に誇るdj honda
 
40年という節目の年に東京にて初開催され、クラシック部門では新たな日本人チャンピオンが誕生するという最高の瞬間も生まれたことで、全てのバトルDJ、そしてファンにとって忘れ得ない大会となった今回のDMC世界大会。
 
来年以降も毎年、開催都市を変えて続いていくことになっており、さらに10年後に行われる50周年大会がどのような形になるのか、今から楽しみでならない。
 
また、テクノロジーの進化によってDJプレイそのものも変化し、それは例えばDMCに新たな部門が誕生していることにも繋がっているわけで、その進化と変化は今後も止まることはない。
 
一方でテクノロジーの進化によってすでに誰もが簡単にDJになれる時代にも突入しており、究極の職人とも言えるバトルDJたちが行っていることはある意味、時代に逆行しているのかもしれない。
 
しかし、DJという行為の根源にある、絶対に無くしてはいけない部分を今も守り続けているのがバトルDJであり、彼らやDMCとともにこのカルチャーは今後も絶えることはないだろう。
 
 
 
 
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