POGGY’S FILTER|vol.13 READYMADE 細川雄太さん(前編)
FASHION / MEN
2020年1月21日

POGGY’S FILTER|vol.13 READYMADE 細川雄太さん(前編)

小木“POGGY”基史氏がホストを務める『POGGY'S FILTER』の2020年最初となるゲストは、様々な有名アーティストなどからも高い支持を誇るブランド「READYMADE」の細川雄太氏だ。ヴィンテージのミリタリー素材を使って生み出されたREADYMADEのバッグやウェアは、既存のリメイクの概念を覆して、ストリートラグジュアリーの新たな価値観を作り出し、名だたるトップブランドとのコラボレーションも数多く行ってきた。そんなREADYMADEの理解者の一人として、その成長の過程にも大きく携わってきたPOGGY氏が、細川氏との対談によって改めてREADYMADEのブランドとしての歴史やフィロソフィーを紐解く。なお、今回は長年、READYMADEのセールスを担当してきた(株)アントラクトの尾田浩行氏にも同席していただき、尾田氏の目から見たREADYMADEに関する貴重な意見も伺った。

Interview by KOGI “Poggy” Motofumi|Photographs & Text by OMAE Kiwamu

マックスフィールドへ持っていった一つの鞄から始まった

POGGY 僕が最初に細川さんにお会いしたのって、尾田さんの紹介ですよね?

細川雄太さん(以下、細川) そうですね。何かの用事でここ(アントラクトのショールーム)に来た時に、POGGYさんもいらした感じでしたかね?

POGGY その前に一度、何かの展示会でここに来た時にREADYMADEの鞄が置いてあったので、「これ何ですか?」って話を尾田さんとしていて。

尾田浩行さん(以下、尾田) それで後日、POGGYさんがLIBERTY FAIRS(リバティ・フェアーズ)のSharifa(シャリファ)のアテンドをされている時に、「シャリファが見たいって言ってるから、寄ってもいいですか?」って。それで、また来ていただいて。その時に細川もいたので、POGGYさんに紹介したという流れでしたね。パッチのついたM-65のサンプルがぶら下がっていたので、試着してもらったり。その写真をPOGGYさんがインスタにあげた瞬間に、問い合わせがきて、マイアミのAlchemist(アルケミスト)に卸すことが決まったんですよね。アルケミストのRoma(ロマ)が、多分、この写真を見て連絡をしてきて。
POGGY その前にもVirgil Abloh(ヴァージル・アブロー)がREADYMADEのことをインスタであげていましたよね。

細川 ヴァージルが鞄をよく持っててくれて。

POGGY ヴァージルはどこでREADYMADEを知ったんですか?

細川 ニューヨークのHirshleifers(ハーシュライファーズ)っていうお店が僕の鞄をインスタであげたら、ヴァージルが「どこのバッグ?」って反応して。それで、ハーシュライファーズから僕にも連絡があったので、ヴァージルに「あなたにも作るよ」って冗談で言ったら、ヴァージルと会うことになった。それでハイアットで会って、コラボしようってなったんですよね。

POGGY それは2014年くらいですか?

細川 そうですね。OFF-WHITE(オフ・ホワイト)がまだ2回目か3回目くらいのコレクションの時だったかと思います。

POGGY 僕がここでお会いしたのも、2014年でした。

細川 そうですよね。タイミング的にはみんな同じ頃です。

POGGY READYMADEのアイテムを初めて見た時に、“モノの力”っていうのを感じたんですよね。それこそ、ミリタリーの素材を使ったリメイクってよくあるんですけど、リメイクを超えた迫力みたいなのがあって。あれは何なんですかね?

細川 好みの問題だと思うんですけど、僕は、何か家庭では出来ないようなものをやろうと思って。単純に貼って付けたり、例えば、生地を使って巾着袋にするとか、そういうのではないリメイクを作りたかった。リサイクルすること自体はすごく良いことだと思うんですけど、全部がリサイクルでも多分、限界があるし。今の時代だからこそ出来る技術とかもあると思うんで、そういうのも加えたりして。化粧するみたいな感じですかね?

POGGY それこそ、使っている生地に「どこどこの軍隊」みたいに書いてあるわけじゃないですか。それって本来だったら、ちょっと気味が悪いものだったりすると思うんですけど、そうじゃないものになっているっていうのがすごいなと。アメリカのお客さんで、「この部隊は僕のお父さんが所属していて」みたいな話があったんですよね?

細川 そうですね。そういうストーリーもあったりするし。ステンシルで書かれた文字の雰囲気が好きなんです。日本人が書く英語の文字って、僕の中では綺麗過ぎるんですよ。当時の人が書いている手書きって真似できないし、それをデザインするほうが難しい。だから、そのままデザインに使っていますね。

POGGY READYMADEを始める前、細川さんは古着を?

細川 そうですね。大阪の古着屋さんで働いていました。その時に服作りも始めていて。それは友達に頼まれてやってたんですけど、自分でやりたいって思ってREADYMADEを始めました。
POGGY READYMADEで最初に作ったものはなんですか?

細川 鞄ですね。一個だけ作って、それをLAのMaxfield(マックスフィールド)に持っていったんですよ。それが2013年なんで、もう6年前ですね。僕が30とか31歳くらいで、もう歳も歳だし、もしマックスフィールドに置いてもらえなかったら、それは僕に才能がないっていうことだから、諦めようって思っていて。それで持って行ったら、速攻で買ってくれたんです。その鞄も次の日に売れて。そこから、永遠とマックスフィールドから追加注文が来ています。それがREADYMADEの始まりなんですよね。

POGGY なんで、最初に持って行こうって思ったのがマックスフィールドだったんですか?

細川 マックスフィールドの存在を初めて知ったのが、多分、中学3年生くらいだったんですけど。当時、Chrome Hearts(クロム・ハーツ)が流行っていて、氷室京介さんとかが着けていて。氷室さんはそれをマックスフィールドで買っているって言ってたんですよ。それから雑誌でマックスフィールドの記事を見たんですけど、若かったんで行く機会もなくて。ただ、その時にマックスフィールドがすごく格好良いお店っていう感じで、印象に残っていたんですね。それで大人になってLAへ遊びに行くようになってから、マックスフィールドにも行くことができた。それでブランドを始めた時に、日本で展示会をやって、どこどこに置いてもらって、次は海外に……とかじゃなくて、まずマックスフィールドに一発行って見てもらって、答え出すのが良いじゃんないか?って思ったわけです。階段を下から登って段階を踏むより、最初に上に登ってから、下がっていったほうが早いなって。そういう単純な理由です。

POGGY そこから、卸し先が増えていったんですか?

細川 最初はマックスフィールドだけでやってたんですけど、他のお店にも卸したいと思って、マックスフィールドの人に相談したら「LAはうちだけにしてくれ。でも、その代わりにニューヨークで展示会をやったら? お客さんも呼んであげるから」って言ってもらえて。そしたら、本当にいっぱいお客さんを呼んでくれて、それで一気に海外の卸し先が決まっていったんですよね。

POGGY その頃って、一人でREADYMADEをやっていたんですか?

細川 最初は一人でやってたんですけど、さすがに無理だなって思って。2人で、4年ぐらいやって。今は3人になりました。

POGGY ミリタリーのダッフルバッグやテントを自分で解体して、それを使って鞄とか洋服を作るわけですよね? その作業って結構大変ですよね?

細川 本当に地獄でしたね。マジで「全然家に帰れない!」って思いながら、やってました。

一気に海外の人脈の広がった<POGGY'S WORLD>への出展

POGGY ミリタリーも年代によって、生地が薄いとか厚いとかあったりするじゃないですか。そういう生地を選ぶ上でのこだわりはなんですか?

細川 僕の中で好きなのが50年代、60年代ぐらいのコットン素材で。80年代くらいから化学繊維が入ってくるんですけど、化学繊維が入ると臭いもすごくて、全然使えないんですよ。やっぱり昔のものってすごいなって思います。だから、大体50年代とか60年代、あとは40年代の第二次世界大戦が終わったぐらいのものをずっと使っていますね。

POGGY そういうリメイクって、古着屋さんで働いている人とかは思い付いたりするビジネスでもあるじゃないですか。多分、買いやすい価格帯のリメイクっていうのが、古着をやっている人の頭の中にあると思うんですけど。それが、ラグジュアリーアイテムに生まれ変わっていったっていうのが、僕はすごいなと思っていて。

細川 そうしようと思ってやったわけではないんですけど、リメイクのアイテムってたくさんあるじゃないですか。でも、僕の中では、あんまり格好良くないというか。もともとあったものより、一段下がったものが出来ているって思っていて。逆のことが出来ないかな?って。例えばリメイクで鞄から新たに別の鞄を作るならば、もっと良い鞄になっている。そういう感じでやり始めたんですよね。

POGGY 「アップサイクル」っていう言葉もREADYMADEあたりから使われ出したんですかね?

細川 それはBuscemi(ブシュミ)に会った時に言われた言葉ですね。「READYMADEがやっているのは、ラグジュアリー・アップサイクルだ」って。
POGGY なるほど。話を戻して、僕が2014年にお会いした時に、一緒に食事に行って、その時にいろいろと話をしたんですよね。それで、UNITED ARROWS & SONS(ユナイテッド・アローズ&サンズ)のリニューアルの時に、READYMADEにも参加していただいて。

尾田 POGGYさんに「この素材でモッズコートを作ったらどうですか?」って言われて。今まで、READYMADEでモッズコートを作ったことがなかったんですけど、細川も「実は僕もそう思ってたんです」って。それでヴィンテージのワッペンをブワーって腕に付けて、オープニングに1着だけ間に合わせて。検品もしないで(笑)。

POGGY そうでしたね(笑)。

細川 そしたら、すぐに売れたんですよね。

尾田 2秒で売れてしまって、店頭に飾れなかった。

POGGY その翌年に、ラスベガスのリバティ・フェアーズで自分がキュレーションする<POGGY'S WORLD>っていうのをやるので「出展してもらえませんか?」っていう話をして。

POGGY LAは何度か行ったことがあったんですけど、ベガスはあの時に初めて行きました。

尾田 今思うと、あの時はすごかったですね。いろいろとやりたかったこともやって。鞄の種類を増やしたり、ぬいぐるみを一点物で作ったり、ジャケットも作って持っていったり。LAの人たちとか、僕たちはまだ誰も知らない頃だったんで。けど、POGGYさんの名前でいろんな人が来てくれました。現地で友達も出来て、いろんな人たちと連絡を取り合うようになって。あれは結構大きかったですね。

細川 しかもタイミングも良かったと思うんですよね。
POGGY 今だとみんな、パリに行っちゃってますけど。まだラスベガスのトレードショーがギリギリ元気のある時でした。

尾田 あの頃は日本人もいっぱい来ていて。でも日本人のオファーは全て断ったんで、未だに根に持っている人はいると思いますよ(笑)。

POGGY その年(2015年)に、クロム・ハーツとのコラボもやりましたよね?

細川 あれはマイアミの『Art Basel』(アート・バーゼル)に合わせてやったやつですね。

尾田 さっきのPOGGYさんがREADYMADEのジャケットを着ている写真をアルケミストのロマが見てから、その一年後にロマがクロム・ハーツとコラボをやらせてくれたんですよ。

POGGY なんでロマはクロム・ハーツにコラボの話をしたんでしょうかね?

細川 「好きなブランドって何?」って聞かれることってあるじゃないですか。そういう時に僕が言ってたんでしょうね。

POGGY たしかに、ずっと「クロム・ハーツ」って言ってましたよね。
細川 それを聞いて、ロマがRichard Stark(リチャード・スターク、クロム・ハーツ創設者)と話した時に、「そういえば、こういう日本人がいるよ」って話してくれたみたいで。僕も正式なオファーじゃないですけど、「一緒にやりたい」みたいなことを言ってたから、そういう話になったんです。

尾田 ロマがリチャードに会いにLAに行く時に「サンプルを3、4点貸してくれ」って言われたんで、送ったんですよ。それを見たリチャードが「これ持って帰っていいか?」って言ったらしくて。ロマ曰く、「リチャードがサンプルを家に持って帰りたいって言うなんて、初めて聞いた」って。「これ、もしかしたらイケるよ」って。それで、リチャードが持って帰ったサンプルのMA-1のジャケットを見た娘のジェシーが「これ、私のものにしたい!」って言い出した。

POGGY それでREADYMADEのMA-1を「ジェシー・ジャケット」って呼ぶようになったんですね。

尾田 そう。それで、クロム・ハーツからも「やろう」って正式に返事がきたんですよ。

POGGY そういえば、ロマがリチャードにREADYMADEのインスタを見せて、その時はフォロワー数が1500人くらいで。そしたら、リチャードが「これぐらいがちょうど良い」って言ったそうですね。

尾田 これ以上でも、これ以下でもダメだって。みんなが知っているわけじゃないけど、今伸びてきている、みたいなところが良い。だから、そこが気に入ったっていうのは聞きましたね。それが1万人のフォロワーだったらやらなかったって。

POGGY リチャードのそういう姿勢は本当に格好良いですよね。

尾田 ​それから「ジェシーがあんなに物を欲しがったのを久しぶりに見た」って言っていたのですが、それも大きかったと思いますね。あと、あの時はヴァージルとも一緒にやりましたね。

細川 クロム・ハーツとオフ・ホワイトとのトリプリネームの鞄を作りました。

尾田 ヴァージルとクロム・ハーツが一緒にやるようになったのも、あの時が最初でしたからね。READYMADEの鞄に、メタルパーツが全部クロム・ハーツになっていて。それにヴァージルが近所のホームセンターで買ってきたペンキを使ってライブペイントをして。

細川 ヴァージルが鞄にストライプを描いて。あの鞄も速攻で完売しましたね。
後編へ続く
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